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- 協会概要
協
会概要名称 | 一般社団法人落語協会 |
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所在地・連絡先 | 住所 〒110-0005 東京都台東区上野1-9-5 TEL:03-3833-8563 FAX:03-3833-8599 |
アクセス | 東京メトロ千代田線湯島駅 6番出口より徒歩2分 東京メトロ銀座線上野広小路駅 A4出口より徒歩5分 都営大江戸線上野御徒町駅 A4出口より徒歩5分 JR御徒町駅 徒歩5分 |
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史職業的な落語家と寄席の始まりは、寛政十(1798)年、下谷稲荷社内で初代三笑亭可楽が打った興行を、その祖とする説が有力である。以後、明治維新を迎えるまでの70年間に、江戸の町に寄席の数は百七十軒以上を数えるようになり、落語家の数も増えていった。
明治8年、三代目麗々亭柳橋を「頭取」とし、「補佐」に三遊亭圓朝と六代目桂文治らがつき「落語睦連」を結成するが、明治20年代になると「柳派」「三遊派」の二大派閥にほぼ大別されるようになった。各席を半月ごと(当時は15日間ずつ、上席・下席として興行を打っていた)に、交替で勤める興行形態が整い、それが大正時代まで続くことになる。
大正6年8月、柳派と三遊派が合併し、四代目橘家円蔵、初代三遊亭圓右、三代目柳家小さんらが中心となって「東京寄席演芸株式会社」を創設し、月給制を取り入れる。ところが同月下席、同会社に所属した五代目柳亭左楽が脱退し、四代目春風亭柳枝らと共に「落語睦会(三遊柳連睦会)」を旗揚げした。以後、この両者が二大団体となるが、小さな離合集散を繰り返すことになる。詳しくはとても書ききれないくらいの、脱退、旗揚げ、合併、解散、復帰などが繰り返された。噺家という人種の気性を、現している現象と言えるかもしれない。関東大震災の後、五代目柳亭左楽が奔走した結果、大同団結し「東京落語協会」として、大正13年2月25日に上野精養軒にて発会式を行う。これが現在の一般社団法人落語協会のルーツとなる。
しかし、翌13年6月には、またまた分裂。旧睦会が独立し「東京落語睦会」として復活する。その後も、両会派はさらに小さな分裂や解散を繰り返す。その団体名を挙げるだけでも「落語演芸東西会」「柳三遊研成社」「日本演芸協会」「東京演芸組合」「三語楼協会」「金語楼一座」「東京落語組合」など、正確に把握する事さえ困難なありさまである。昭和5年、六代目春風亭柳橋と柳家金語楼が「日本芸術協会」を創設する。これが現在の公益社団法人落語芸術協会の母体である。
沿
革- 落語協会発会式。上野精養軒にて。
- 五代目柳亭左楽と三代目柳家小さんの二人頭取制。
- 二人頭取制を解消し、三代目小さんが初代会長となる。
- 初の落語ラジオ放送(五代目柳亭左楽「女の悋気」)。
- 演芸家の鑑札が「遊芸稼人鑑札」から「技芸人之証」に変わる(三遊亭金翁が最後の所持者)。
- 会長(二代目)に五代目三升家小勝就任。
- 【東京15区の寄席】96軒。
- 〈色物席〉鈴本演芸場・人形町末廣・喜よし・新宿末廣亭(現在のものとは別)・西巣鴨鈴本亭・神田花月江戸館・十番倶楽部・寿々本・七大黒・住吉亭・松月亭
- 〈東宝系〉東宝名人会・神田立花・神楽坂演芸場・帝都座演芸場
- 〈講談席〉聞楽亭・永花亭
- 臨監席 官憲による高座の監視。内容によっては中止させられた。
- 「はなし塚」建立 廓噺などを中心に、噺家自ら戦時体制に合わない噺を選定し、禁演落語として封印した(浅草•本法寺)。
- (「三枚起請」「木乃伊取り」「坊主の遊び」など53種)
戦後は解禁したが、占領下ではGHQの命令により仇討物・バレ噺などが
禁止された(「花見の仇討」「町内の若い衆」「蛙茶番」など。) - 空襲警報中は興行中止、灯火管制により夜席中止。
- 都内寄席は度重なる空襲により18軒中16軒が消失した。残存したのは 「神田立花」「人形町末廣」だが、立花は既に廃業しており当時営業中で 建物が残ったのは人形町末廣が唯一。
- 玉音放送後、七日間演芸を自粛した。
- 会長一龍斎貞山戦災死(享年68)。それに伴い八代目桂文楽が暫定的に会長(四代目) に就任。
- 鈴本演芸場がトタン囲い・よしず張りの仮設高座で営業再開。
- 人形町末廣、初席から営業再開。
- 会長(五代目)に四代目柳家小さん就任。
- 新宿末廣亭開席。席主・北村銀太郎。
- 禁演落語復活祭。戦中に作られた戦争ものを代わりに収めた。
- 【定席】5軒。[鈴本演芸場・人形町末廣・新宿末廣亭・八丁堀住吉亭・新富演芸場]
第一回番組【小金治、今輔、小さん、圓生、三木助、文楽】
- 東横落語会はじまる。
- 五代目古今亭志ん生、芸術祭賞受賞。
- 「お笑い三人組」テレビ放送開始。
出演者【小金馬、貞鳳、猫八】
- 会長(八代目)に五代目古今亭志ん生就任。
- 「笑点」放送開始。
出演者【小痴楽、金遊、こん平、圓楽、歌丸、司会・談志】 - 国立劇場開場。
- 日本演芸家連合創立。
- 鈴本演芸場落成。
- 八代目桂文楽歿(享年80)。
- らくごくらぶ(落語協会事務局の前身)発足(台東区上野1-9-5)。
- 五代目古今亭志ん生歿(享年83)。
- 国立演芸場開場。
- 六代目三遊亭圓生歿(享年80)。
- 圓窓・圓彌・生之助・圓丈・旭生(圓龍)・梅生(圓好)ら9 名協会に復帰。
- 国立劇場内に寄席囃子研修制度発足。
- 第一回真打昇進試験実施(昭和62年に廃止)。
- 落語協会シンボルマーク決まる(一般公募によるもの)。
- 落語協会カレンダー製作開始。
- 昭和天皇崩御(一月七日)を受け、当日のみ出囃子は片しゃぎりを使用し、三味線を控えるなどした。
- 弔意を表すため会長五代目小さんは寄席を休演した。
- 池袋演芸場ビル建て替えが完了、再開場。
- 女性初の真打昇進(三遊亭歌る多・古今亭菊千代)。
- 五代目柳家小さん、重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。
- 国立劇場内に太神楽研修制度発足。
- 会長(十二代目)に三代目三遊亭圓歌就任。
- 三代目古今亭志ん朝歿(享年63)。
- 五代目柳家小さん歿(享年87)。
- 「圓朝まつり」はじまる。谷中全生庵にて。
- 「黒門亭」はじまる。
- 横浜にぎわい座開席。
- 第五次落語研究会500回。
- 会長(十四代目)に十代目柳家小三治就任。
- 発生当日の定席の対応は、「昼席途中打ち切り(浅草・池袋)」「中断後昼席継続・夜席中止(上野・新宿)」と分かれた。
- 復興支援寄席 昼席前、夜席後の時間を利用してチャリティ興行を行った。
- 落語協会、「一般社団法人」認可。
- 協会公認キャラクター「はなしか」誕生。
- 会長(十五代目)に四代目柳亭市馬就任。
- 十代目柳家小三治、重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。
- 「謝楽祭」はじまる。湯島天神にて。
- 都の要請ならびに、国の緊急事態宣言発令により四定席揃っての休席(二ヶ月間)。
宣言解除後は制限付きで開場(席数制限.感染対策など)。 - 落語会やイベントの中止・延期が相次ぐ。
- 落語会のインターネット配信や寄席中継、
芸人自らの動画投稿などが盛んに行われる。 - 「寄席支援プロジェクト」両協会主催でクラウドファンディング実施。
一億円を超える金額が集まった。
- 六代目五街道雲助、重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。
- 初代国立劇場・国立演芸場、建て替えのため閉場。
- 「落語協会百年」記念式典。上野精養軒にて。
- 会長(十六代目)に柳家さん喬就任。