一般社団法人 落語協会

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落語協会の活動

2023年『謝楽祭俳句』募集 総評

『謝楽祭』俳句募集総評

2023年度令和5年
第九回『謝楽祭』俳句募集総評
謝楽祭実行委会 選句 金原亭世之介

「謝楽祭」俳句募集にたくさんのご応募いただきありがとうございました。コロナ禍もやっと治まり、例年通りの「謝楽祭」もなんとか催すことができました。これも皆様のおかげです。心から御礼申し上げます。さて皆様からは珠玉の作品を多数ご応募いただき本当にありがとうございました。俳句総評が遅れ、楽しみにしている方には大変ご迷惑をお掛けいたしました事お詫び申し上げます。またYouTube配信のテロップで作者のお名前が間違って流れていたり、その他多々ご迷惑をおかけしましたことお詫び申し上げます。こちらの総評でどうか入選作品、作者のお名前などをご確認ください。

さて「第九回謝楽祭俳句募集」はおかげさまをもちまして二百四句の作品が集まりました。その中から各兼題「天」一句「地」二句「人」三句と全体から「佳作」を選句させて頂きました。今年も秀句が集まり選句はひと苦労でありました。今回の兼題は「志ん生忌」「鰻」「富くじ」の三題。「志ん生忌」は俳句独特の「忌日」を季語とする兼題で今年没後五十年を迎える古今亭志ん生の命日九月二十一日を指す季語です。五代目古今亭志ん生を忍ばせてくれる秀句が集まりました。「鰻」は落語にも出てくる夏の季語です。詠みやすいぶん似た発想の句が多くなり選句に苦労しました。「富くじ」は謝楽祭の「富くじ」をイメージして他の俳句会ではお目にかかれない面白い句がたくさん集まり選句を楽しませていただきました。謝楽祭俳句募集も九年目、俳句力の上がった常連の投句はさすがという句が増えてきたことを実感した回でもありました。また俳句の基礎さえ学べば名句へ育つ作品が今年も沢山あって思わず選句の際に「惜しいなぁ」と声が出てしまう事がしばしばでした。そして九十歳を超える方からの作品もあり。ささやかな俳句募集ですがお客様の思いが伝わってきて楽しく選句させていただきました。これからも「謝楽祭俳句」が寄席や落語そして俳句への興味の入り口になっていただければ幸いです。まだくすぶっているコロナにお気を付けいただき来年も寄席芸人たちを唸らせる作品のご応募お待ちいたしております。

今回は「志ん生忌」「鰻」「富くじ」各兼題に

「天」一句

「地」二句

「人」三句

そして全句から「佳作」十句を選ばせていただきました。

『志ん生忌』

「天」の句

男湯に指定席あり志ん生忌

川又裕一

「地」の句

 

ちゃぶ台の湯呑の跡や志ん生忌

萩こぼす風の道あり志ん生忌

ささしま(酒井美穂)

菰田道代

「人」の句

 

 

落日取り鰻富くじ志ん生忌

はじまりは鉱石ラジオ志ん生忌

志ん生忌祖父の話のオチを待つ

克燦(松家克)

たくり(鈴木拓利)

杉山ひかり(小野智子)

「志ん生忌」はまだ歳時記などには記されていない季語です。落語家の忌日の季語はあまり存在しませんが私的にはこの忌日季語を歳時記にも載せてほしいと思っています。中秋の9月21日、秋の、のほほんとした志ん生の人生観がきっと素敵な季語になってくれると信じています。もしかしたら今回の選句から歳時記に取り上げられる「志ん生忌」の代表作が生まれるかもしれないと密かに期待しても居ります。

さて「天」に抜けた「男湯に指定席あり志ん生忌」の句は見たとたんに思わず「巧い」と声がこぼれた秀句です。まさに秋を感じさせるのほほんとした温かさであり、志ん生の姿が目の当たりに現れた一句でした。志ん生の住んでいたのは日暮里の谷中。そして銭湯をこよなく愛していました。倒れた後も弟子の円菊にオブさって谷中の世界湯に通っていた話は有名です。我々もそれにあやかって世界湯へ行ったものです。志ん生忌の背景に銭湯を持って来た巧さが光った作品でした。志ん生は「鹿連会」という噺家の川柳の会に入っていてその中で「借りのある人が湯ぶねの中にいる」と詠んだ有名句があります。挙句を見たときまずこの句を思い出しました。作者ももしかしたらこの句を意識して挙句を詠んだのかもしれません。男性というものはとかく保守的で銭湯の下駄箱の木札番や衣服のロッカーの位置、洗い場の座る場所はもちろん湯船の場所まで同じにしたいものなんです。この句の「男湯に指定席あり」の限定もそこを句に詠み込んできた巧さはすばらしい。自分の場所の湯舟にしみじみ浸かりながら志ん生を思い出した初秋の思い。いう事なしの「天」に抜けた句です。

「地」の「ちゃぶ台の湯呑の跡」の句も近い過去のノスタルジーを湯呑の跡に載せました。今のテーブルにはまず付か無い湯呑の跡。丸い折り畳み式の砥の粉塗りのちゃぶ台は熱すぎた湯のみを長く置いたところに必ず丸い跡があったものです。この丸い跡と志ん生の顔立ちや湯呑で型どりをして書いた火焔太鼓の絵などが浮かぶこの表現が上手いですね。志ん生の家にも先代馬生の家にも湯呑の跡が残るちゃぶ台があったような錯覚さえしてしまう上手い句です。「萩こぼす」の句は俳句らしい一句です。はっきり言って「志ん生忌」で詠まれた句の中でこの句は異質でした。志ん生の生きた世紀は戦争と大震災、そして戦後の繁栄の激動の昭和でした。その時代をはちゃめちゃに生きた志ん生の人生には一見「萩こぼす風の道あり」は似合わない言葉のように思うのですが、繰り返しこの句を読むと、いやそれは神格化された志ん生を我々が創り上げているだけで本当は違うのではないかと考えさせられるのです。生きるために命がけで圓生と満州にわたり慰問をし、今思えば口には出来ない悲惨を数多く見、経験してきたに違いない志ん生。そしてその思いを情熱に変え笑いに変え、あののほほんとした芸の裏にその体験を潜ませている。他の分野の天才たちと同様に時代を駆け抜けた昭和の象徴のひとりだったのではないかとこの句から気づかされたのです。「こぼれ萩」は中秋のころの秋の季語で「志ん生忌」と季重なりですがまったく気にならないどころかかえってこの句を生かしています。皆さんも何度か読みかえしてもらうとわかると思います。もう一人の志ん生が見えてくる気がしませんか。素晴らしい一句です。

「人」の句「落日取り」にしてやられました。兼題の出題に落語にちなんだものをと考えて出しましたから兼題を並べただけで実に上手くはまりました。しかしこの句の一番は「落日取り」の上五と下五の「志ん生忌」です。これが兼題を見事にまとめ上げました。「落日」は沈もうとする太陽です「日取り」はある事を行うのに適した日を選ぶ事。造語なのかこの言葉の使い方が上手かった。日暮時に立てた計画が鰻、富くじ、志ん生忌。寄席に行って鰻でも食べて富の籤でも買うそれは明日が志ん生の命日だから。作者の術にはまった一句です。次は「始まりは鉱石ラジオ」他にもカセットテープやラジカセ、レコードなど昭和のノスタルジーを兼題に詠み込んだ句は多かったのですが「鉱石ラジオ」の言葉の選び方が上手かった。俳句は名詞の持っている力に左右される文学です。鉱石ラジオには読み手のそれぞれが持っている記憶がたくさん詰まっています。安価で買えた鉱石ラジオで聞いた志ん生の落語。もちろん志ん生だけでなく深夜放送も全盛だった時代の思い出や野球放送、相撲中継、たくさんの思いが鉱石ラジオに詰まっています。作者の思い出がこちらにも届いてくるようです。「祖父の話」は志ん生と祖父を重ね合わせた秀句です。何度も聞いた祖父の昔話。でもその話が好きなんです。最後のオチを話し終えたお爺ちゃんの笑顔。温かな情景が伝わってきます。志ん生の一席もおなじです。何度聞いてもオチが分かっていても聞きたくなる。温かな一句です。

「志ん生忌」では穏やかな温かさのある句を全体的に選ばせていただきました。志ん生という噺家にはそれが似合っていると思うのです。

『鰻』

「天」の句

柳川やうな重妻と分かつ午後

横山白首(横山凖一)

「地」の句

 

渋団扇見とれてしばし土用かな

治らぬを知らせず父と食む鰻

海泡石(星野淳)

素数(奈良雅子)

「人」の句

 

 

人生に未練のありて鰻食ふ

鰻食う約束果たせざりし人

鰻のせ老母の椀の太神楽

田中恭司

几右(友井求)

ハイカーしん(中川伸)

「鰻」は夏の季語ですが一年中居る魚です。本当に美味しい鰻の旬は冬ですが江戸時代平賀源内がその時代コピーライターとして土用の丑の日に鰻を食べると良いと広めたと言われて夏の季語になった。と言いますが万葉集の編纂者、大伴家持がすでに夏痩せには鰻が良いと歌を詠んでます。「石麻呂に吾もの申す夏痩せによしといふものぞ鰻とり食せ」。また夏には「う」の付くものを食べると長生きするという諺もありますから「梅干し」でも「うどん」でも良かったわけです。ですから平賀源内説はどこまで真実かはわかりません。しかしながら土用の丑の日には皆こぞって鰻を食べる習慣は現代でも根付いて続いています。今回鰻の値段が高いという関連の句がずいぶんありましたが同じ観点でも良い句に仕あがった作品もあるわけで、ぜひ俳句の作り方を少し勉強してほしいものです。

さてその中で「天」に抜けたのは「柳川や」の句です。柳川は弟子の駒平が福岡の柳川市ですかと言っていましたがそれも一理ありそうで、調べてみると身の締りがよく風味のある柳川の鰻は「アオ」と呼ばれ江戸時代後期から藩の特産品だったそうで柳川の鰻は珍重された。ですから「柳川」には今でも鰻の老舗が数多く残っています。上の句で切れ字で置いていることからもこの句は福岡の柳川の老舗の一件なのかもしれないと悟りました。また泥鰌を開いて卵で綴じた柳川鍋のことかもしれません。それより大切なのは「鰻重妻と分かつ午後」だ。午後というから昼食なのだろう若い夫婦ではないと思う一人で鰻重一つは食べきれない。「今日は土用の丑。では半分ずつで食べようか」という夫婦愛と昼下がりのほんわかとした雰囲気が鰻と美味しく炊かれた米から立つ湯気としてさえ見えてくる。それが福岡の柳川の地だったのか、はたまた別に頼んだ柳川鍋であったのか、「柳川」という江戸の老舗なのか。午後という言葉一つで句を完成させている良句です。

「地」の「渋団扇」は鰻から句を詠まずに団扇から持って来たところに手柄があります。正岡子規は俳句は写生であると論じています。つまりムービーでなくピクチャーであるから余韻が心を動かすのです。この句は一枚の渋団扇しか描かれていない絵なんですが、焼かれる鰻を仰ぐ団扇の半生がふと想像できた。そして「土用の丑か」と気が付かされた自分がいる。ほんの数秒の人生の一コマですが日本人として生きてきた歳月を感性が謡わせた一句となりました。「治らぬ」の句は一つの短編小説のようです。お父さんの不治の病をバックに今生の別れとなってしまうかもしれない時間に好物の鰻を食べる作者の心情を悲しいとも寂しいとも言わず詠みました。だから句景が温かいのです。良い句ですね。

「人」の句「人生に未練のありて」の句は類似句が何句かありましたが挙句は俳句としての作りが上手かった。俳句は歌ですから言葉のリズムや息の切ればや音がとても大切ですその辺がこの句が一番でした。「約束せざりし人」はそれが誰と言っているわけではないので、作者にとっては親であったり友であったりするのかもしれません。私は亡き古今亭志ん朝を想い出しました。志ん生が亡くなって、続けざまに十代目馬生を含め馬之助、志ん馬、朝馬、馬勇、と一門の噺家が若くしてこの世を去りました。心を痛めた志ん朝は大好きだった鰻を断ちます。それは志ん朝が寅年生まれで守り本尊が虚空蔵菩薩、そのお使い姫が鰻だったから鰻を口にすることを断ったのです。しかしその甲斐もなく志ん朝も64歳という若さで亡くなります。この句は選者の私には約束せざりし人は志ん朝に思えてならないのです。「鰻のせ」の句は作者の母に対する慈愛の句です。それだけなら何の変哲もないよくある句なのですが「椀の太神楽」が作者の寄席愛をさりげなく表現していて句に厚みを与えました。土用の丑の日、老いた母にも鰻を味わってもらいたいと。小さな茶碗に盛られた御飯にそれほど大きいわけではないのですが左右に垂れ下がるほどの鰻。ふと見るその形は太神楽の五階茶碗の一番上に乗る茶碗と房の付いた板のよう。母も寄席が好きだったなぁと感じるひと時が微笑ましい良句です。もしかしたら茶碗の柄にも太神楽の絵が描かれているのかもしれません。

さて鰻の句の情景はどれも物語の一場面のようでした。そうするとよく「それって本当かよ」などと言う人がいます。しかしこれらの景が空想であろうと本当のことであろうとそれはそれでよいのです。芭蕉の奥の細道や皆さんの行う吟行のように自ら経験した事を事実として詠むのも良し。そうでなくても事実を詠まなければいけないなんてことは全くないのです。俳句はそんなちっぽけな物ではないと信じてどんどん想像の世界の句も詠んでほしいですね「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」は私の好きな金子兜太の名句です。俳句は自由でしょ。

『富くじ』

「天」の句

富くじを当て祭り鱧ざくざくと

池田遊瓜(池田秀夫)

「地」の句

 

神棚に富くじ同居ゐたしをり

炎天下一番売り場の最後尾

丸亀丸(丸亀敏邦)

鯉女(張本瑞江) 

「人」の句

 

 

一夜明け焚火にくべる富の札

温め酒またあらためる外れ籤

謝楽祭くじ買う空に秋気かな

とえ(松元えりこ)

和音(中嶌亜季)

雪鹿(中村逸子)

「富くじ」は暮の季語のように感じますが季語ではありません。ですから季感を感じさせる言葉が必要となってきます。宝くじの感覚で詠んでそこに江戸の富くじと共通する何かを感じさせてくれればと期待して選句に臨みました。すると江戸時代と言うより謝楽祭で販売した「富くじ」の思いを詠んだ句がたくさん集まっていて楽しく選句させていただきました。しかしながら普段使わない言葉の「富くじ」は少々難しかったかもしれません。

そんな中「天」に抜けた「祭り鱧」の句は見事でした。祭鱧は夏の季語で俳句では季語が動かないことが大切とされていますが、この句の「富くじ」「祭り鱧」「ざくざく」の三つのワードの選択は見事で季語も言葉も動かない秀句となりました。東京では夏に鱧を食す習慣はありませんが京、大阪では夏には欠かせない旬の食材です。小骨が多いので骨切りの技術が職人の腕の見せ所。夏の料亭ではまな板に響くその音がざくざくと聞こえてきます。富くじに当たった小判がザクザクと高価な鱧の小骨を刻むザクザクの音。謝楽祭を意識した「祭鱧」。富くじに当たった喜びが音として聞こえてきます。選句の度に良句が現れると嬉しくなりますが挙句は言うことなしの「天」に抜けました。

「地」の「神棚」の句は落語の「富久」がまず頭に浮かびました。そして「宿屋の富」の富の風景に出てくる二番富の当たると決めた江戸っ子。富札を買って富の当日までは毎日神棚と共に顔を合わせる同居人のごとくある富札。「同居ゐたしをり」はまさに言い得ていて巧い表現でした。「炎天下」の句は類似句がいくつかありましたがこの句に軍配が上がりました。宝くじもそうですが当たると言われている売り場にお客様は殺到するものです。勇んで並んだ一番売り場でしたが長蛇の列の最後尾。それも炎天下。これで外れくじじゃあ情けない。ところが得てして苦労するほどそういう物は当たらないときている。外れるとか当たるという言葉がない分想像が膨らんむ滑稽句となりました。

「人」の句です「一夜明け」の句は季語が「焚火」。くじが外れても中々受け入れられない現実。一晩見つめ続けた外れクジ。明けてやっとあきらめがついて焚火に放り込む。焚火は全国的に禁止ですから今はあり得ない光景ですがとてもよく分ります。残念なものは御焚き上げにした昔感がじわっと伝わってくる良句でした。「温め酒」の句は前句の前の晩の風景です。熱燗だった酒がぬるくなるほど未練がましく見つめる外れクジの様子が見えてきます。「謝楽祭」の句は俳句らしい一句。作者にとって毎年秋の気配をふと感ずる頃が謝楽祭なのですね。すっと流れた涼しげな風に湯島天神の空を見上げるとまだ暑い地上と別に秋の空が広がっている。そこに作者が見えてくる良句です。


佳作

お前さん来てくれたね夏謝楽祭

中村純一

何もない夏も終わりか志ん生忌

中澤教授(後藤昌功)

あの人の口癖移り志ん生忌

梅田華露(大沢のり子)

片付けの祖母の書見つけ志ん生忌

流石岸(岸美幸)

ひぐらしを聴かなくなって志ん生忌

田仲美穂

眠る子のでんでん太鼓志ん生忌

丸亀丸(丸亀敏邦)

鰻屋のホース魚より活きの良し

ささしま(酒井美穂)

鰻重にウンチク添える寄席帰り

荻原正臣

父の日と鰻の香り成田山

竹内薫平

鰻焼きじりじりと照る網の上

野口満帆

以上佳作十作です。次回は是非最優秀賞「天」を目指してご健吟下さいませ。また来年も謝楽祭俳句行う予定です。応援よろしくお願いいたします。

句評 金原亭世之介
俳号 皂角子(さいかち)

令和5年9月4日
一般社団法人落語協会 謝楽祭実行委員会


俳句募集要項

今年も「俳句」の募集をいたします

各賞受賞は謝楽祭当日落語協会の配信にて発表

懸賞:橘右楽師匠の作者名の一文字色紙 賞状 他

俳句兼題:「志ん生忌」「鰻」「富くじ」

募集要項:住所、氏名、ペンネーム・俳号、年齢、電話番号、メールアドレス

募集〆切:8月21日必着、投句無料、メールまたは郵送にて

メール募集: 

 

sharakusai-haiku@kingpro.co.jp

郵送募集:〒110-0005東京都台東区上野1-9-5

     一般社団法人落語協会謝楽祭「俳句」係

 

注意

俳句では忌日句と言って亡くなった著名人に対して尊敬の念を込めて忌日を詠む事があります。古今亭志ん生の命日は9月21日。単に秋の季語としてまた故人を想う季語として詠むと良い句が出来ると思います。「鰻」は土用の丑の日という関連から夏の季語とされています。落語にも登場する鰻です。「富くじ」は初春や新年の季語のように感じますが季語ではありませんから季節を感じる言葉や季語を添えること。今の感覚ではジャンボ宝くじをイメージして詠むと良いのかもしれません。落語界ならではの秀句を期待します

 

選者 金原亭世之介 「河」「かいぶつ」同人 公益社団法人俳人協会会員

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