2024年『謝楽祭俳句』募集 総評
『謝楽祭』俳句募集総評
2024年度令和6年
第10回『謝楽祭』俳句募集総評
謝楽祭実行委会 選句 金原亭世之介
謝楽祭俳句募集にたくさんのご応募いただきありがとうございました。色々な意味で熱い「謝楽祭」が戻ってまいりました。そして謝楽祭俳句も十年目を迎え皆様から熱い俳句がたくさん届きました。今回も珠玉の作品を多数ご応募いただき感激の至りであります。傑作が多く選句に苦労して俳句総評が遅れましたことお詫び申し上げます。
さて「第十回謝楽祭俳句募集」はNHK俳句掲載などの後押しもあり、おかげさまをもちまして全国から三百七十五句の作品が集まりました。昨年より百三十作品余り多い投句を頂戴いたしました。その中から各兼題「天」一句「地」二句「人」三句と全体から「佳作」十作品を選句させて頂きました。今年も秀句が集まり選句はひと苦労でありました。今回の兼題は落語協会創立百年にちなみ「百年」「案山子」「秋の虫」の三題。「百年」は百年に限らず「百」の意味が俳句に込められていればよいと言う形で兼題といたしました。そこで夏の花「百日紅」や「百合」落語の「百川」などそれぞれ個性を詠まれた作品も目を引きました。「案山子」はすっかりその姿が見られなくなって、間もなく死語になってしまうかもしれない言葉です。鳥も利口になって案山子に驚いて近寄らないなんて事が無くなったようです。何よりお米を食べてしまう雀や小鳥自体が減って「案山子」の役目も終わってしまったのかもしれません。「案山子」の姿を田舎で見るだけで私もノスタルジーを感ぜざるを得ない素材です。「秋の虫」は簡単な兼題のように感じますが、あまりにもたくさんの秀句が昔から生まれすぎていて、かえって難しい兼題になってしまったかも知れないと懸念しましたが良い作品が集まりました。今年も俳句力のある常連のさすがという句、そして全国から句力のある初参加の作品が多く集まり選者としてではなく、読者として楽しく選句させていただきました。もう少し俳句の基礎さえ学べば名句へ育つ作品も多くあり、是非一年研鑽して来年は「天」に抜ける作品をお送りください。これからも「謝楽祭俳句」が寄席や落語そして俳句への興味の入り口になっていただければ幸いです。来年も寄席芸人たちを唸らせる作品のご応募お待ちいたしております。
今回は「百年」「案山子」「秋の虫」各兼題に
「天」一句
「地」二句
「人」三句
そして全句から「佳作」十句を選ばせていただきました。
『百年』
「天」の句 | 優曇華やうつばり太き百年家 | 杉田あんみつ |
---|---|---|
「地」の句 | 天高し百年誇る寄席のぼり | 吉茄子(中村嘉弘) |
父九十圓生百席と夜長 | こまく(柘植勇人) | |
「人」の句 | 百年のながい話や蛞蝓 | めだか(矢口けいこ) |
百名に笑い茸のおもてなし | 群雲(窪田輝夫) | |
百川や宴の後に虫集く | 柿岡陽樹 |
落語協会が協会発足から百年を迎えました。お客様あっての百年史です。日ごろご贔屓いただいているお客様には心より感謝いたします。そんな思いを寄せて今回は「百年」を兼題に選ばせていただきました。そして「百」にまつわる言葉でも良しとさせていただき、たくさんの秀句を頂戴いたしました。「百」と言う表現は数えられないほどの語意や「いっぱい」と言う意味も含んだものです。
さて「天」の「優曇華のうつばり太き百年家」は落語協会百年への賛美の祝い句です。俳句は他の文芸と違い故人への哀悼や賛美を直接でなく写生したものの中に例えて詠む素敵な要素が醍醐味でもあります。揚げ句の「うつばり太き百年家」これが落語協会を比喩した褒め言葉で「うつばり」とは家を支える横梁の事で柱と柱を繋ぐ重要な組木です。創立百年と今後百年を繋ぐ芸人たちがこの「うつばり」です。そして「優曇華」はウスバカゲロウの卵の事も言いますが、ここでは落語「花見の仇討」にも出てくるセリフ「此処で会うたが盲亀の浮木『うどんげの花』待ち得たる今日只今」のあの優曇華です。優曇華の花は三千年に一度しか咲かないと言う空想の花で千載一偶の幸運を表す言葉です。百年を繋いでゆくに値する太い梁の家はこれからまた百年、いや三千年も繫栄すると言う称賛句です。百年家を写生して落語協会を賛美した、間違いなく素晴らしい秀逸句です。
「地」の「天高し百年誇る寄席のぼり」これも落語協会の称賛句「天高し」の季語が良い。あえて落語協会を詠まず幟を褒めたところに手柄があります。また「天高し」が幟と相まってぴったりの季語となりました。もう一句「地」の句です。「父九十圓生百席と長夜」自由律俳句のような響きの句です。秋の夜長に九十歳の父の部屋から聴こえる落語の圓生百席。「圓生百席」と言う言葉が不思議に百まで生きて欲しい父に対する願いに聞こえるのです。これは圓るく生きると書いて圓生という文字を見つけた作者の手柄です。三遊亭圓生も落語協会歴代会長の一人上五の「父九十」の体言止めがインパクトある句に仕立て上げました。
「人」の句です「百年のながい話しや蛞蝓」蛞蝓は「なめくじり」と読みます。古今亭一門の私としては「蛞蝓」とくれば志ん生の半生記「なめくじ艦隊」を思い出します。その志ん生の喋りのゆったりとした間と百年というゆっくりと流れる年月が蛞蝓の歩みと相まって落語的な二句一章となりました。「百名に笑い茸のおもてなし」「おもてなし」の心は日本人のサービス心です。芸人ならば万人に笑を届けてこそ当たり前。この句はそんなおもてなしの笑いを「目いっぱい戴きました」と言う謝礼句に感じました。ちなみにワライタケは食べると幻覚症状が出て中には本当に大笑いする場合もあるようですが、中毒症状で頭痛嘔吐などで引きつった顔が笑っているように見えて名が付いたと言うのが本当の様です。ちなみに季語にワライタケを詠んだ句は珍しい。鈴木真砂女の句で「笑ひ茸食べて笑ってみたきかな」がありますが今回の句の方が私は好きですね。「百川や宴の後に虫集く」「百川」は落語の季節で言えば晩夏の秋の祭りの季節。江戸っ子と田舎者のエピソードに秋らしい趣で詠んであり中々の狙いを感じました。河岸の若い衆と虫の対比は同じ集まりでありながら祭りの後の寂しさを巧く詠み上げたと思います。
『案山子』
「天」の句 | 駐在の家族になるや捨案山子 | 槻木俊彦 |
---|---|---|
「地」の句 | 案山子倒るドクターイエローを呼べ | 横山白首(横山凖一) |
捨案山子いつか一緒に乗る電車 | ももたろう(穂苅真泉) | |
「人」の句 | 今年こそ楽屋入りかな瘦案山子 | 碧水(山路幸和) |
米野菜孫への手紙かかしより | 川又しのぶ | |
「すみません、並んでますか?」と問ふ案山子 | わか草(神田実祐) |
「案山子」の「天」は「駐在の家族となるや捨案山子」この句はまず「駐在」と「捨案山子」の取り合わせが見事です。ここでの駐在とは俗にいう「駐在さん」駐在所のおまわりさんの事です。交番がそのまま住まいに成っていて巡査の家族が一緒に住んでいる駐在所。過疎の村や離れ小島にはまだまだ駐在所はあるでしょうが都会ではすっかり見なくなりました。都内でも谷中霊園の中にある駐在所は地域の人に親しまれていることで有名で、ニュースのトピックスを飾ったりしています。そんな田舎の駐在所に誰かが放置して道端にでも落ちていたのでしょう。もう用の無くなった捨案山子が置かれていた景を詠んだのがこの句です。情景が浮かんでくるだけでなく、おまわりさんの温かな人情までも感ぜられる句に仕上がっています。それは中七の「家族になるや」がとても生きているんですね。駐在所に住む奥さんと子供の姿が想像できるからです。繰り返し詠む度に「いいなぁ」と感じた秀逸句です。
「地」の「案山子倒るドクターイエローを呼べ」は天の句とは真逆にあるアバンギャルドな句です。ドクターイエローは黄色い新幹線の車両で特殊なセンサーが装備されていて走るだけで線路の異常を即座に感知できる最新鋭の機器です。幻の新幹線と呼ばれ、見ただけで幸せになると鉄道オタクたちの間で噂された車両です。新幹線は主要都市を結ぶ路線ですからほとんどは畑と山と林を抜けて走っています。その新幹線と案山子の取り合わせは見事でその様子は直ぐに頭に浮かびます。しかしこの句はその単純な景にドクターイエローを持って来たところが手柄です。ドクターイエローと案山子の風景はそれだけでもう絵になります。そのうえドクターイエローは来年一月老朽化のため引退が決まっています。案山子も時の流れでそろそろ引退です。最後の仕事をお互い務めて終えてゆく。「案山子倒る」に込められた哀愁が素晴らしい。時の流れと栄枯盛衰が一句に込められた間違いなく「天」と分け合う秀句です。もうひとつの「地」「捨案山子いつか一緒に乗る電車」これも哀愁ある良句ですね。人生を鉄道に例えた時代が長くありました。太平洋戦争では出兵の別れ、戦後の成長期には故郷を後に上野駅に向かう就職列車。映画の中でも駅は別れのモニュメントでそれを運ぶ列車もまたしかり。捨案山子は仕事を全うして去ってゆく仲間や先輩の姿です。もちろんこの世との別れもあるのでしょう。「いつか」という時間はそれほど先の事ではない未来を詠んでいて、哀愁はあってもなんとなく人生の到達の満足感が秋の豊作を祈る案山子に含まれていて考え深い句に仕上がって居ます。
「人」の句です「今年こそ楽屋入りかな痩案山子」謝楽祭に寄せてきた句ですから、落語家の見習いさんを詠んだ句と受け取りました。コロナの影響で二年も楽屋入りすら出来ない見習いさんが何人も居ました。惜しいかな耐えられず噺家をあきらめた子も随分いたようです。そんな事情を知った方の句かなと想像します。「痩案山子」の表現が前座見習いをよく表していて謝楽祭ならではの投句と、選句しました。「米野菜孫への手紙かかしより」俳句会で孫を詠んだ句は掃いて捨てるほど出てきます。孫はそれだけ可愛いのでしょう。しかしそれだけ誰にでも当たり前の事であるため「孫」の句は先ず選句されません。それだけ「孫」を詠んだ句は難しいという事です。その点揚げ句は巧い。対象は「孫」ですが詠み手の心を手紙に仕込んでいるところが巧みです。ひらがなの「かかしより」も良い。手紙の文字が見えてきます。切れ字に無理にしなかった上五の「米野菜」の体言止めも見事です。それだけで田舎の畑仕事をする爺さん、婆さんの姿。遠く離れた学生か働く青年の活躍する姿。段ボール箱を開けた瞬間の涙まで感じる句となりました。『「すみません、並んでますか?」と問ふ案山子』選句に悩んだ一句です。俳句にはカギカッコや「?」は使わない決まりがあります。なぜなら俳句は披講と言って声に出して詠まれた音をとても大切にする文学だからです。そこに「」や?は必要ないのです。しかし名詞は漢字で書く決まりですが、わざわざひらがな書きにしたりして、決して絶対駄目と言うわけではありません。だいたい「すみません並んでますかと問ふ案山子」と書いてみると何ともつまらない句なのに、揚げ句には何か魅力がある。実はこの句、案山子が喋っている体で詠まれているからなんです。「」や、や?が機械的な音を想像させているんです。作者は「問う」を「問ふ」と表現しているところを見るとまんざら俳句を知らない訳ではなく意識して詠んでいるのではないかと思いました。また今回の投句で案山子に道を聴いたり案山子に尋ねる句は沢山ありましたが、案山子が案山子に話しかけてる句はこれだけでした。そんなことを考えながらこの句を味わっていると作者の案山子世界へ引き込まれていきます。
『秋の虫』
「天」の句 | 追ひ出しの遠くに止むや虫の声 | 櫻庭寛 |
---|---|---|
「地」の句 | 裏路地は江戸の道なり鉦叩 | 素数(奈良雅子) |
母を待つ厠のまえに虫の声 | ハイカーしん(中川伸) | |
「人」の句 | 虫時雨先の亭主に明日は会ふ | 明古(大下綾子) |
相槌は寄席の余韻につづれさせ | 雪鹿(中村逸子) | |
登窯の背負ふ古墳や虫時雨 | 遊瓜(池田秀夫) |
「秋の虫」が兼題の場合は「秋の虫」で句を詠む決まりです。秋の虫の種類では本来詠んではいけないのですが、今回は「秋の虫」のそれぞれでも良しとしたのでそれぞれの個性が選ぶ虫たちが居て面白い俳句が集まりました。
「天」に抜けた句は「追い出しの遠くに止むや虫の声」です。とても俳句らしい仕立ての句ですが、オーソドックスな形で句を詠むのはとても難しい事なんです。この句の良さはお囃子や太鼓の音、人の気配に虫が鳴き止む句が多い中、追い出し太鼓の音が消えて初めて虫の声に気付く作者の心情の表現が巧いですね。そしてただ太鼓が止んだのではなくて「遠くに」と言う形容が一つの物語を作り上げました。作者は寄席で落語を聴いていたのか、席がはねての帰り道。遠くで鳴っていた追い出し太鼓が鳴りやんではじめて気付いた虫の声。大笑いの中に人情を感じた噺を虫の声でもう一度思い出したのです。また「遠くで止むや」の切れ字の表現が、志ん生、文楽の時代の世の中にまだ人情が溢れていた昭和を詠んでいるのかもしれません。秋の夜の涼し気な気候まで感じさせてくれる句です。
「地」は「裏路地は江戸の道なり鉦叩」です。俳句は季語が動かしようがないほどぴったり来た時。誉め言葉として「季語が動かない」と言ったりします。この句の「裏路地」「江戸」ときて秋の虫の「鉦叩」を選んだところが巧いですね。今でも下町は裏路地が入り組んでいて夏場は暗くて狭い路地はじとじとして心地よいものではありませんが、秋が来て虫たちが鳴き始めると急に情緒のある空間にうって変わる。源氏物語五十四帳にすでに「鈴虫」の言葉がある通り日本人は昔から虫を愛でる文化がありました。そして江戸時代にもっとも花開きます。虫売りが江戸の町にたくさん出て裏路地に虫籠が並んだそうです。六月七月に虫が売られ、お彼岸にはこの虫を放してやるのが命への供養でした。虫の中でも「鉦叩」はその名の通り仏壇のリンのような音で鳴いてこの句にぴったりの季語ですね。「母を待つ厠のまえに虫の声」年老いた母の世話をする日常にふと見つけた四季の一頁ですが、母思いのその景が句から浮かんでくる心地良い句です。厠に連れて行って耳を澄まして母の様子を戸の前で聞き入っていたからこそ聴こえた虫の囁き。「虫の声」が歳を取って弱っている母の姿に重なります。
「人」は「虫時雨先の亭主に明日は会ふ」落語の「天災」を思い浮かべ面白い句に思わず一票入れた滑稽句です。しかし滑稽句であるのにどこか悲哀を感じるのは季語の「虫時雨」のせいかもしれません。「虫時雨」は多くの虫が鳴きたてるのを時雨の音に例えた秋の季語で、時雨は初冬に降る雨でさっと降っては止みさっと降っては止むのを繰り返すことです。そんな意味からすれば先の亭主とまた一悶着あるのか、焼けぼっくいに火が付くのか。作者に結果を聴いてみたいですね。「相槌は寄席の余韻につずれさせ」この句の季語は「つずれさせ」これは「ツズレサセコオロギ」のことで鳴き声が「冬を迎える準備に衣を綴り刺せ」と聞こえることから付いた名前です。「綴れ刺す」という言葉から夫婦のひとこまを感じました。夫婦で寄席を楽しんだ団欒の夜。今日の落語の事を話す夫に相槌を打つ女房の姿。手には縫物の針仕事。古典落語の世界のような景を感じます。この句も「つずれさせ」の季語がとても上手くハマっています。「登窯の背負ふ古墳や虫時雨」少し難しい句です。登窯は斜面に窯を造って薪を燃やしてその火が上に上がってゆく、その熱で器を焼きます。古墳時代から焼き物はありましたが日本に登り窯が伝わったのは十六世紀ころ。登り窯で焼かれた焼き物は今でも国宝級の名器が存在していますが、今や電気とガスで焼かれる焼き物がほとんどであの頃の趣は中々ありません。登り窯で焼かれる微妙な火加減がきっと名器を育てたに違いないのでしょう。登り窯は今でも残っていますがまるで古墳のように見物のひとつとして存在しているだけです。その役目は果たしていません。すでに登り窯は古墳を背負ってしまっているのです。作者がそんな焼き物の現状を憂いた句と感じました。虫時雨の季語との二句一章が哀しさを増しています。人と言うものもその古墳時代から根本は変わっていないじゃないか。いやかえって素敵さを失っているように感じる。それは私も同じです。しかし人とはそんな繰り返しなのかもしれません。
『佳作』 | 流星の百個流れるまで座る | ミカアンドロイド(並木美加里) |
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百年の緞帳上がる秋高し | 山田智司 | |
銀漢や百年隔つる友もあり | 几右(友井求) | |
サイダーに浮かぶ気泡は百の星 | 箕輪杏珠 | |
小屋掛けに案山子も客の仲間入り | 萩原正臣 | |
鳴く虫の名は忘ぜし秋の虫 | 丸亀丸(丸亀敏邦) | |
虫すだく仕舞の湯の灯落ちてなほ | 林清吉 | |
かなかなや寄席の木札の黒さかな | 伊澤正孝 | |
虫時雨かごの一匹応えけり | 和音(中嶌亜季) | |
芸人の朝飯遅しきりぎりす | 御戸貴史(川又裕一) |
以上佳作十作です。次回は是非最優秀賞「天」を目指してご健吟下さいませ。また来年も謝楽祭俳句行う予定です。応援よろしくお願いいたします。
句評 金原亭世之介
俳号 皂角子(さいかち)
令和6年9月8日
一般社団法人落語協会
謝楽祭実行委員会
俳句募集要項
令和6年(2024年)今年も「俳句」の募集をいたします
各賞受賞の発表は後日落語協会のHPにて発表いたします
懸 賞:賞状他今年も素敵な懸賞を用意いたしております
兼 題:「百年」「案山子(かかし)」「秋の虫」
募集要項:住所、氏名、俳号(ペンネーム)、年齢、電話番号、メールアドレス
募集〆切:8月26日(月)必着、投句無料、メールまたは郵送
メール宛先:sharakusai-haiku@kingpro.co.jp
郵送宛先:〒110-0005 東京都台東区上野1-9-5
一般社団法人落語協会内謝楽祭「俳句」係
注意
落語協会は発足百年を迎えました。それを記念して兼題に「百年」を選びました「百年」はもちろん季語ではありませんから必ず季感を感じる言葉や季語を入れて詠んでください。「百」が使ってあれば百年でなくても良しとします。
「案山子」は「かかし」のことで秋の季語です。近頃ではあまり見かけなくなりましたが落語の「子別れ」にも別れた亭主を「あんな人でも居るだけで案山子の代わりにはなったろうに」なんてセリフが出てきます。
「秋の虫」は鈴虫やコウロギなどの他「ヒグラシ」のような蝉も秋の虫に分類されています。今年も謝楽祭らしい落語の世界ならではの秀句を詠んでご応募ください。お待ちしております
選者 金原亭世之介 「河」「かいぶつ」同人 公益社団法人俳句協会会員 大正大学客員教授