落語協会の活動
2026年『謝楽祭俳句』募集 総評
『謝楽祭』俳句募集総評
2026年度令和8年
第12回『謝楽祭』俳句募集総評
謝楽祭実行委会 選句 金原亭世之介
謝楽祭俳句募集2026に今年もたくさんの投句をいただきましてありがとうございました。今年から謝楽祭が6月7日に開催移行され例年の残暑厳しい中でなく初夏の気候で催すことが出来ました。兼題も夏の題で募集。688句の投句をいただきました。
今年も「NHK俳句」の掲載をいただき、おかげさまで昨年以上に全国からの作品が集まりました。
その中から各兼題「天」一句「地」二句「人」三句と全体から「佳作」十作品を選句させて頂きました。今年も秀句が集まり選句はひと苦労でありました。今回の兼題は「梅雨」「梔子」「浴衣」の三題。
「梅雨」は、つゆ、ばいう、などと読みます。落語の「酢豆腐」「ちりとてちん」などはまさにこの時期の落語でしょう。「卯の花腐し」(うのはなくたし)は本来旧暦の四月の季語ですが今は夏のこんな時期にも使われています。「梔子」(くちなし)は正しくは「梔子の花」が夏の季語「梔子の実」が秋の季語になります。梔子の花は六月から七月に白色の花で強い芳香放って咲きます。谷中全生庵の落語家の中興の祖三遊亭圓朝の墓には山岡鉄舟の筆で「三遊亭圓朝無舌居士」と記されています。その墓に続く小道の入り口に「梔子」が植えてあります。「くちなし」と「無舌」。なんだか素敵ですね。「浴衣」も夏の季語です。謝楽祭での落語協会の芸人や関係者の揃いの浴衣姿は境内に風を感じさせますね。夏まつりや花火の浴衣、温泉宿での浴衣姿。白地に紺の浴衣は涼気で心地よいものですし、女性の艶やかな色を使った浴衣も素敵です。
今年も俳句力のある常連のさすがという句、そして北は北海道から南は沖縄まで、全国から句力のある初参加の作品も多く集まりました。今年は橘流寄席文字の師匠橘右橘師匠にも選句をお手伝いしていただきました。心打つ秀句に、いち読者として楽しく選句させていただきました。是非来年も「天」に抜けるほどの作品で選句者を困らせてください。これからも「謝楽祭俳句」が寄席や落語そして俳句への興味の入り口になっていただけることを心から願っております。
今回は「梅雨」「梔子」「浴衣」各兼題に
「天」一句
「地」二句
「人」三句
そして全句から「佳作」十句を選ばせていただきました。
『梅雨』
「天」の句 | 梅雨まとふ封書二通をポストから | 吉田達郎 |
|---|---|---|
「地」の句 | 置き配の気配かすかに走り梅雨 | 石井ヒデカズ |
息継ぎし泳ぎ出さんや梅雨の街 | 田島千恵子 | |
「人」の句 | 長梅雨や義父のふんどし乾かざる | 加藤多作 |
梅雨の空千枚通しで開けました | 日野杏南 | |
梅雨の午後妻と人生ゲームする | 横山白首 |
兼題の「梅雨」は夏の季語でありながらどこか淋しさがその背景にある季語ですが、線状降水帯の土砂降りの梅雨やエアコンで暮らす現代では少し意味合いが変わってきたかもしれません。
「天」の句「梅雨まとふ封書二通をポストから」近頃は全てLINEやメールでのやりとりが殆どで手紙を書く文化が無くなってきてしまいましたが、書き文字の素敵さは人の心を動かすものです。梅雨まとふと言う表現がどこか淋しい手紙を思わせます。また二通としたことで紙が張り付いている湿りを感じさせます。私は同一人物からの二通の手紙に感じました。下五の「ポストから」が気になりましたが「二通の在りにけり」では雨の中にポストを見に行った作者が見えてこない。「ポストから」が心待ちの作者の雨降る中の姿を想像させてくれました。
「地」の句「置き配の気配かすかに走り梅雨」雨降る日は表の雑踏も雨のカーテンに遮られていつもより静かに感じるものです。置き配の音も気づかないほどのちょっとした気配、「走り梅雨」を下五に持って来た事で宅配の走ってゆく足音が聞こえたように感じさせています。配達員の後ろ姿を連想させました。作者の言葉選びの巧みさと文節の並べかたががうまい。もう一句の「地」です「息継ぎし泳ぎ出さんや梅雨の街」梅雨の風景を水の中に例え。息継いだというのですから昼食後の一服からの仕事への出発でしょうか。「梅雨の街」仕事は営業なのか?億劫さを「よしっ」と雨の中へ向かう姿が頼もしい一句です。個人的にはもやもやした人生のこれからを変えて行く人生句にも感じました。
「人」の句です「長梅雨や義父のふんどし乾かざる」これは笑えました。父ではなく「義父」が効いてますね、私は嫁いだ妻が詠んだ句だと思いましたが男性の投句という事で自分の親のふんどしを妻に洗わせたものなのか、同居の妻の親のものなのか?何しろ長梅雨で乾かないふんどしが家の中で漂う風景は笑えました。「長梅雨」の「長」がふんどしを尚更イメージさせてます。落語「出来心」で長屋に入った泥棒が部屋干しのふんどしを盗む長屋の風景が頭によぎりました。「梅雨の空千枚通しで開けました」若い人は「千枚通し」を知らないようです。縫物や革細工をしないともう使わないものなのでしょうね。落語に星を「雨の降る穴だ」という「馬鹿の小話」がありますが、この句はまさにそれ。他の句会では子供じみた句として取って貰えないかもしれませんが落語ファンや噺家の心には刺さる一句です。千枚通しだけに。さてもう一句「梅雨の午後妻と人生ゲームする」昭和戦後生まれの人なら「人生ゲーム」を懐かしく思うひとは多いはずです。この句の巧さは「人生ゲーム」と言う遊戯に夫婦の本当の人生を例えているところです。デジタルのテレビゲームではないレトロな紙のゲームは昭和を生きた夫婦の姿の例えです。派手な生き方ではなくてもそれはそれで楽しい人生だった「梅雨の午後」が人生谷あり山ありを暗示しています。梅雨の句は秀句が多く選句に苦労しました。
『梔子』
「天」の句 | くちなしの夕べに白く黙ひと日 | 黒川俊郎 |
|---|---|---|
「地」の句 | 五十日や梔子の花また開く | 遠藤玲奈 |
花くちなし事故物件の四畳半 | 川又しのぶ | |
「人」の句 | 梔子や三つ指のさてこのたびは | 純子 |
梔子や帰宅せし子の長シャワー | ハイカーしん | |
梔子の花の香分けし仏間哉 | ゴンちゃん |
「天」の句「くちなしの夕べに白く黙ひと日」とても気品のある句です。また梔子の花で詠まれた歌や句を作者は良く知っている方とお見受けいたしました。梔子の花は一日花で夜になると一段と強く香って、触れると傷つきやすいそんな花ですから強くて弱い女性に例えられたりします。さてこの句は一日花の梔子の花が燃え尽きんとして花の香を放っているそして私はただ黙って見ていると言う。ただそれだけの句です。説明はありません。季語の「梔子の花」に思いをすべて載せているところが巧いのです。一日で枯れる梔子の花に一生を例えて、その晩年の夕に白くほんのりと一番の香りを放っている。人生の終間近で、はたしてそう終えられて居るのだろうか。いやいやそれを考える事すら無粋なのだ。黙って眺めていよう。と私が説明してしまうのも無粋に感じる。良い句とはそんなものです。
「地」二句はまるで様相の違う句が選ばれました「五十日や梔子の花また開く」この句の「五十日」とは神道で言う「五十日祭」です。仏教の四十九日は亡くなった方が極楽浄土へたどり着く時間で、神道では亡くなった御霊が守護として祖霊舎(神棚)に正式に迎い入れられるのが五十日祭で柏手は音をたてずに「忍び手」で行います。この句は「五十日や」と「梔子の花また開く」の二句一章です。近しい人が亡くなったのでしょう。五十日やとしてあるのでもう遠い日なのかもしれませんし近日かもしれません。そうやって守護となって人の歴史が繋がるように梔子の花も日一日と咲いては枯れまた咲く人の移り変わりと一緒なのだ。悲しむことはない。梔子の花に例えた人生句です。もう一句は滑稽句「花くちなし事故物件の四畳半」梔子が植えてある庭がある四畳半の部屋。木造モルタルの古そうな雰囲気が「梔子の花」から感じられます。貸アパートでしょうか?なにやら胡散臭い風景が怖さより面白さを増して近づいてきます。花梔子がこの事件の被害者を絶対女性であると思わせてくれる「不条理芝居」アングラと言われた戦後昭和の芝居にありそうな別役実やテネシー・ウイリアムズのそのまま題名になりそうな句にひかれました。
「人」の句「梔子や三つ指のさてこのたびは」落語通なら「さてこのたびは」とくれば落語「うどん屋」の酔っぱらいが仕立て屋のみー坊の嫁入りを説明する場面が直ぐに浮かぶはずです。三つ指を立てて挨拶する姿と「梔子や」の二句一章で季語の「梔子」の使い方がうまい。嫁入りの白無垢姿と白粉の香、そして何より三つ指を立てた指を「梔子の実」に見立てている。梔子の実は碁盤や将棋盤の足のような形で江戸の職人は梔子の実を真似て彫ったと言われていて三つ指を立てたような姿に似ている。たった一晩でもう他の家に嫁として入って他人になる花嫁と梔子の花。余計な事も喋れなくなるみー坊。落語通ならではの一句に感動です。
「梔子や帰宅せし子の長シャワー」この句もまた意味深な句です。思わず父の心境になって「何があったんだろうなぁ?」とシャワーの音に耳を傾けてしう。もちろんこの子は女の子です。でも親として決して嫌な心持地とは違う、誰もが通る青春の一ページに賛歌を贈っている一句です。落語「宮戸川」のお花、半七。霊岸島の叔父さんの家の二階での一夜の出来事がほのかな梔子の花の香りと共に甦る一句です。「梔子の花の香分けし仏間哉」仏事が行われたのであろう仏間では線香の香が厳かに漂っている。「お疲れさまでした」挨拶を終え仏間の敷居をまたいだとたん梔子の花の香りがぷーんと匂ってくる。生死の境とはこんな小さなものなのかもしれない。日常の中にある生きる世界とあの世の境を梔子の花の香りで詠んだ良句です。
『浴衣』
「天」の句 | 「先輩」と呼ぶ君淡し浴衣かな | 神間晋 |
|---|---|---|
「地」の句 | 駆け出していく兵児帯の金魚の背 | 和音 |
浴衣褒め合う出囃子を待つ時間 | 寄席路 | |
「人」の句 | 浴衣着る昔と今に包まれる | 大史華家 |
三代の箪笥を移る浴衣帯 | 石田珠柳 | |
花柄に身を包む君風戦ぐ | 杢保晴乃 |
「天」の句『「先輩」と呼ぶ君淡し浴衣かな』特に男性なら誰でも一度は感じた「先輩」と言う女子からの響き。群れで生きてきた歴史の中で育てられた下の者への優越感はそれが男女の後輩を問わず嬉しいものです。特に思春期の異性からの「先輩」と言う声は単なる先輩と言うだけではない響きを感ずるものです。まして日ごろは制服と言う決まった服装で会っている女子が私服、それも浴衣と言う特別な姿で声を掛けられればそれは嫌な気はしない。年齢が行った我々でさえ「先輩」と言う響きに悪い気はしない。「呼ぶ君淡し」としてあるからこれは昔の想い出であろう。「先輩」のカギカッコは要らないと思ったが、不思議に外すとそれほど心に刺さってこない句になってしまう。なんでもない一句であるがこのカギカッコがこの句を生かしているのかもしれない。ここは堅苦しい仕来たりは無しで「天」とした。
「地」の一句目「駆け出していく兵児帯の金魚の背」「兵児帯」は「へこおび」と読みます。子供の頃締めた柔かな帯のことで薩摩藩の青年武士が締めていて彼らを「兵児」と言ったのが始まりらしい。そういえば西郷さんの銅像は兵児帯を締めているがそれは定かではない。さてこの帯はご存じの通り後ろにリボンのように結ぶとまるで金魚の尾っぽ。それも琉金などの三尾のように揺れている。上五に「駆け出して」としたことで子供とすぐに感じられる。駆け出してゆくで「お婆さん」を想像させはしない。落語「子別れ」で鰻屋へ行く約束をして帰る「亀」が駆け出して転ぶシーンがあるがこれは落語の演出で子供を想像させる大切なワンシーンだ。「浴衣」とも「子供」とも詠まずにその姿を想像させてくれた良句です。次の句も面白い句だと思った「浴衣褒め合う出囃子を待つ時間」二つの風景が浮かんだ。一つは寄席のお客としての作者だ。友達と浴衣を着て寄席見物に来て「落語」と「落語」のほんの少しの間で「今日可愛いね」と声を掛けあって居る。もしかしたら前座の上がる前の時間かもしれない。もう一つは日本舞踊のおさらい会などの出番を待つ踊り手たちの会話であるが、これは前者の俳句であろう。言葉の並べ方がうまかった「出囃子を待つ時間浴衣褒め会う」ではつまらない句になってしまうが「浴衣褒め会う出囃子を待つ時間」とすると物語が突然見えて来て、寄席を切り取った一場面が心地よい。
「人」まずこの句「浴衣着る昔と今に包まれる」浴衣は昔のものでも新しいと言う事だけではなく、その浴衣が持っている歴史を着ていると言う句だ。自分が存在しているのは親が居てその親が居て自分がある。その感動に今包まれていると言うのだ。自己の心情を詠っている上手い句である。それより驚いたのはこの句が9歳の小学校4年生の句だった事だ。これからの未来が楽しみの子供である。「三代の箪笥を移る浴衣帯」この句も前句と違う切り口から親子三代の歴史を箪笥と言う大人の目線で詠んでいる。浴衣帯とした所がこの句の手柄で金襴の博多帯ではこの味わいは出てこない。いつ捨てても良いような帯ではないけど代々伝わっていくのである。「花柄に身を包む君風戦ぐ」この句が浴衣の兼題に合うのか?ちょっと悩んだ句である。この句は下五の「風戦ぐ」を「そよぐ」とせずわざわざ漢字で表した事だ。綺麗なやさしい句を詠もうとすれば、おのずとひらがなで表現してしまう言葉を「戦う」を使って詠んだ事で目を引いた。調べると作者は女子高校生だった。「なるほど浴衣を着ることは戦いか」と妙に納得した。佳作に「八組の佐藤は浴衣着るらしく」があるが、これは狙いすぎて入選は漏れてしまったが好きな句のひとつです。今年も楽しい選句でした。
佳作 | 家庭科で3の浴衣引き出しに | 駒町 |
|---|---|---|
蹴り上げる水の白雲梅雨晴れ間 | 館健一郎 | |
重くなる地球を溺れさせ梅雨 | 古賀由美子 | |
梅雨晴れやヘルパーさんの訪問日 | 加藤多作 | |
八組の佐藤は浴衣着るらしく | ルーキー | |
三度目の吾子の転校走り梅雨 | もふもふ | |
隠れんぼ梔子の香を引き連れて | 大紀直嫁 | |
一話ごと梅雨めく遠野物語 | 紺屋峠 | |
浴衣着せ肩越しに聞く友の過去 | 美代子 | |
戦線も動きありけり梅雨に入る | 丸亀丸 |
以上が「佳作」十作です。選句に漏れた方も次回は是非最優秀賞「天」を目指してご健吟下さいませ。次回も夏の季語で募集いたしますので素敵な句をお待ち致しております。また来年も謝楽祭俳句でお逢いいたしましょう。
選句 金原亭世之介 橘右橘
句評 金原亭世之介 (俳号)皂角子(さいかち)
令和8年6月7日
一般社団法人落語協会
謝楽祭実行委員会
俳句募集要項
『落語協会謝楽祭2026』
「謝楽祭俳句」募集
落語協会が毎年開催しているファン感謝祭「謝楽祭」が今年も開催されます。「謝楽祭俳句」の募集も今年で第12回目。
応募無料です。ぜひご応募ください。
『謝楽祭2026』
本年度から謝楽祭は秋から春へ移行いたしました。三ヵ月早い開催です。
開催日:2026年6月7日(日)10:00~16:00(入場無料・雨天決行)
開場:湯島天満宮(湯島天神・東京都文京区湯島)
謝楽祭寄席、芸人屋台、富くじ、特設舞台でのイベントなど予定いたしております。
俳句募集要項
令和8年(2026年)今年も「俳句」の募集をいたします
各賞受賞の発表は後日落語協会のHPにて発表いたします
懸 賞:賞状、橘右橘師匠による入賞者の名前の一字を寄席文字色紙として、他にも素敵な懸賞を用意いたしております
兼 題:「梅雨」「梔子(くちなし)」「浴衣」
募集要項:住所、氏名、俳号(ペンネーム)、年齢、電話番号、メールアドレス
募集〆切:4月1日(火)から5月31日(日)必着、投句無料、メールまたは郵送
メール宛先:sharakusai-haiku@kingpro.co.jp
メールには2026年謝楽祭俳句募集と記してください
郵送宛先:〒110-0005 東京都台東区上野1-9-5
一般社団法人落語協会内
2026年謝楽祭「俳句」係
注意
「梅雨」は夏の季語です。つゆ、ばいう、などと読みます。走り梅雨、戻り梅雨、青梅雨、梅雨夕焼(つゆゆやけ)など色々使われています。落語の「酢豆腐」「ちりとてちん」などはまさにこの時期の落語でしょう。「卯の花腐し」(うのはなくたし)は本来旧暦の四月の季語ですが今は夏のこんな時期にも使われています。「梔子」(くちなし)は正しくは「梔子の花」が夏の季語「梔子の実」が秋の季語になります。梔子の花は六月から七月に白色の花で強い芳香放って咲きます。谷中全生庵の落語家の中興の祖三遊亭圓朝の墓には山岡鉄舟の筆で「三遊亭圓朝無舌居士」と記されていてます。その墓に続く小道の入り口に「梔子」が植えてあります、「くちなし」と「無舌」を掛けているのどうか分かりませんが毎年粋を感じる白い花です。「浴衣」も夏の季語です。謝楽祭では落語協会の芸人や関係者が揃いの浴衣で集まっています。もともとは「湯帷子」といって湯に入る際やその後にまとったようですが、夏まつりや花火の浴衣、温泉宿での浴衣姿は着物は着ない人でも一度は手をとおしたことがある衣装ではないでしょうか。白地に紺の浴衣は涼気で心地よいものですが、女性の艶やかな色を使った浴衣も素敵ですね。
今年も謝楽祭らしい落語や寄席の世界ならではの秀句を詠んでご応募ください。お待ちしております
選者:金原亭世之介 「河」「かいぶつ」同人 公益社団法人俳句協会会員 大正大学客員教授
詳細は落語協会ホームページを確認ください。
投句先・お問合せ先・主催:一般社団法人 落語協会
TEL 03-3833-8563 FAX 03-3833-8599






